山猫を探す人Ⅱ

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カテゴリ:復刻 山猫の館( 13 )


2015年 06月 20日

遠野物語 私的解釈⑧ 猿の経立

【原典】
(36話) 猿の経立、お犬の経立は恐ろしきものなり。
(44話) 橋野の炭焼小屋で笛を吹いていると、小屋の垂れ菰をかかげて猿の経立が覗いた。
(45話) 猿の経立は人に似て、女色を好む。松脂を毛に塗り、鎧のように固めている。
(46話) 栃内村林崎の何某(50歳)が今から10年あまり前に六角牛山でオキ(鹿笛)を吹いていると猿の経立が大きな口をあけて峰から降りてきた。
(47話) この地方にて子供をおどす言葉は「六角牛の猿の経立が来るぞ」。この山には猿が多い。

【解釈 】  
猿の経立は、狼のそれに比べて想像しにくい生き物だ。単純に解釈すれば歳を重ねて大きく老獪になった猿、狼なのだろう。狼はそれでいい。大きくなっても歳を経ても狼はイヌ科の動物に違いはない。猿の経立はそれでは済まない。笛につられて人と接触するくらいなら、まあ猿でもあり得る。しかし(45話)で猿の経立は猿から進化してしまった。明らかに大きな猿の行為ではなく、老獪な猿の所業でもない。これは人間そのものである。全身に毛が生えていたり、大きな口をしていたりと猿の特徴を合わせ持った人類なのである。ここ北上山地では明治の中頃まで現在権勢を誇るホモ・サピエンスの影でひっそりと種の終焉を迎えたネアンデルタール人や北京原人のような人類が居たらしい。今も世界規模でUMAとして騒がれる雪男や野人やビッグフットも同じ類でしょう。おっと日本代表はヒバゴンかな?



by Wild_Cat_Seeker | 2015-06-20 21:53 | 復刻 山猫の館 | Comments(0)
2015年 06月 19日

遠野物語 私的解釈⑦ カナホッパ

【原典 】
(76話) 当この長者は昔の金山師なりしらんか、此のあたりには鉄を吹きたる滓あり。恩徳の金山もこれより山続きにて遠からず。


【解釈】  
原典には『カナホッパ』について直接言及した箇所はありません。76話は長者屋敷に関わる話です。このカナホッパは遠野来訪初期より謎の場所でした。内藤正敏氏の著述に接しても、なお謎の場所でした。それが現在の行政区分で云えば、大槌町に属していたとは意外でした。この場所でどれくらい昔から製鉄が行われていたのか、いつ頃衰退したのか、どのような人々だったのか、謎だらけです。

 どれくらい昔から?
 
 その昔、金山師は鉱脈を見つけた場所に桜の木を植えたと云います。確かに『カナホッパ』にはそれはそれは見事な桜の老木があります。
樹齢は何年でしょうか? 300年? 400年? 年輪を調べれば鉱脈発見の時期は特定出来るでしょう。東北地方のたたら製鉄の歴史を重ね合わせると16世紀が一つのターニングポイントであったらしいです。細々と続けられていた小規模で散開的な製鉄から、遺跡が残るほどの大規模永住型製鉄へと変化したようです。奇しくも桜の樹齢と重なるようです。

 いつ頃衰退したのか?

 古代より鉄を吹いていた民は、近代洋式製鉄の出現によってその役目を終えました。・・・・。と書いてしまっては元も子もない。青ノ木や佐比内に近代製鉄の高炉が出来てもなお、白望山一帯の怪異は収まらず明治後期まで続いているし、拾遺の中にも間接的だが怪異は大正年間まで続いている。どうやら時代の流れに逆らい古代製鉄を続けていた人がいたらしい。今でこそ『カナホッパ』は山奥も山奥の地域ですが、謎の製鉄民にとっては豊かな生活の場だったのかも知れません。彼らが小さいコミュニティを作りあげていたのは間違いないでしょう。
 
 どのような人が?
 
 砂鉄製鉄の技術と人材が投入され、遠野近辺の山には山師が散ったことでしょう。『カナホッパ』の鉱脈はこうして発見され、吹いた銑鉄は仲買人の手によって買われ大規模製鉄所の原料として用いられたのでしょう。
 しかしながら・・・・この地方には16世紀はおろか8世紀まで遡れる鉄の歴史があるのだ。脈々と続く製鉄民の歴史を究極まで遡ると、それはおそらく大陸に続くのであろう。その始祖はもしかしたら有史以前に鉄文化を作り上げたヒッタイト人なのかも知れない。
日本の製鉄は『大陸-朝鮮半島-西日本(出雲)』のラインによってもたらされたのが定説だが、先達の諸氏が指摘しているように北方からもたらされた鉄文化があったのではないだろうか。その文化を担った民こそ山人であり天狗であり山ノ神なのである。彼らの技術がアテルイの戦力となり、安倍一族勃興の原動力となり、奥州藤原氏の栄華の元となったのだ。マヨヒガ伝説を生んだのは古代製鉄民のコミュニティである。
 私的解釈『マヨヒガ』の項で、場所を白望山と長者森の鞍部付近と断定したが、マヨヒガ=製鉄民が鉄を吹いた場所とすると、少なくとも、明神平、ここカナホッパ、長者屋敷にもマヨヒガが存在したことになる。もちろん長者森にも存在しただろう。彼らの大半は大規模たたら製鉄の流れに飲み込まれたが、一部はなおも山中に留まり古代製鉄の技術を磨いていたのだろう。

by Wild_Cat_Seeker | 2015-06-19 20:31 | 復刻 山猫の館 | Comments(0)
2015年 06月 18日

遠野物語 私的解釈⑥ マヨヒガ

【原典】
(63話) 小国の三浦某と云ふは村一の金持なり。今より二三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき。この妻ある日門の前を流るる小さき川に沿ひて蕗を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べリ。その庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多く居り、馬舎ありて馬多く居れども、一向に人は居らず。終に玄関より上りたるに、その次の間には朱と黒との膳椀をあまた取出したり。奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されども終に人影は無ければ、もしや山男の家では無いかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。此事を人に語れども実と思ふ者も無かりしが、又或日我家のカドに出でて物を洗ひてありしに、川上より赤き椀一つ流れて来たり。あまり美しければ拾ひ上げたれど、之を食器に用ゐたらば汚しと人に叱られんかと思ひ、ケセネギツの中に置きてケセネを量る器と為したり。然るに此器にて量り始めてより、いつ迄経ちてもケセネ尽きず。家の者も之を怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾ひ上げし由をば語りぬ。此家はこれより幸運に向ひ、終には今の三浦家と成れり。遠野にて山中の不思議なる家をマヨヒガと云ふ。マヨヒガに行き当たりたる者は、必ず其家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。其人に授けんが為にかかる家をば見する也。女が無慾にて何物をも盗み来ざりしが故に、この椀自ら流れて来たりしなるべしと云へり。
(64話) 金沢村から山崎村に婿に行った男が、実家に帰る際、山道に迷い、マヨヒガに行き当たる。あわてて引き返したところ小国へ出た。六,七年前の話。


【解釈】  
少々長くなったが63話を全文引用した。64話は必要なところだけを書き出した。さて、この話は西洋の話に出てくる『お菓子の家』的、「あったらいいね!」話で(自爆)してお終いにしても良いのですが、それにしては具体的すぎる。創作ではここまで細かに後世に残らないだろう。無論、後に三浦家が裕福になったのは、この椀の力だけであるなどと私は思わない。ケセネが尽きないだけなら、エンゲル係数が下がるだけである(笑)。(金を量ったら凄いことになるが・・・)
この『マヨヒガ』には真実と御伽噺がない交ぜになっている。
真実・・・山中に不思議なる家は存在した。(或いは存在している。)
創作・・・マヨヒガの物を持ち帰ると裕福になる。

では疑問を解いてみましょう。

マヨヒガはどこにあるのか?
 これはもう先達の皆様が結論を出しているので今更なのですが、64話で山崎村から金沢村に帰ろうとしてマヨヒガに行き当たって小国村に出る。また63話も遠野物語の草稿には挿絵があり、女の遡った川が白望山から流れてきていることを示唆している。という記述を信ずればマヨヒガは離森から白望山にかけての一帯に存在することになる。
 もう少しピンポイントで指定できないだろうか?
 山崎村の婿殿が金沢村へ行くには琴畑川を遡り、樺坂峠を越え小槌川を降り途中の鷹ノ巣峠を越えるのが最短経路だ。これは当時(明治30年代)でも今でも変わらない。気の遠くなる距離だ。ところがこの婿殿、実家に帰れるヨロコビで気が動転していたのか、早々に道を間違えた。間違えやすいルートは以下のとおり。

 ①琴畑川二股を広股沢方面に入り込み白望山中に分け入った。
 ②鷹ノ巣峠の道と間違えて房間沢を遡った末に白望山北麓に達した。

続いて三浦家の女房。草稿本挿絵によると遡った川は三本に分かれる。

 (a)一番手前の沢・・・・1139m峰の西に至る。
 (b)真ん中の沢・・・・・1173m峰つまり白望山に至る。
 (c)一番奥の沢・・・・・白望山と長者森の鞍部に至る。

三浦家の女房は蕗の生えている沢筋からは逸脱していないと思われる。従ってマヨヒガは小国の領分に存在すると判断出来る。翻って山崎の婿殿はとんでもない道の迷い方をしたようで、白望の峰続きのあのトンでもない藪を泳いで小国へ越えたか、当時は存在したマタギ道を通ったのかも知れない。より間違えやすいとしたら②のほうが濃厚だ。

しかし、ここで最大の難関が立ちはだかる。小国の人は基本的にマヨヒガの存在を知らない。だから三浦家の女房の話も信じなかったし、後の世に山崎の婿殿がホウホウの態で山から出てきた時(富裕なる三浦家が存在するにもかかわらず!)、マヨヒガなんか知らんと言い切ったのである。
 この最大の謎は極私的解釈で乗り切るしかあるまい。やはり三浦家の皆さんは流れてきた椀で裕福になったとは思っていなかったのでしょう。あくまでも実力ですよ。ケセネが尽きなかったのは、実入りが良くなってどんどんケセネを補充したからですよ。まあ、不思議なことはあったけどね。この不思議体験が噂となって山を越えて山崎村に伝わり、ユートピア伝説とも、成金伝説ともつかないマヨヒガ伝説が出来上がったのでしょう。そんな折勃発した婿殿マヨヒガ遭遇事件はたちまち認知され、すぐに捜索隊が結成されたのでしょう。結局マヨヒガには行き当たらなかったのですが、これを『慾をかくと損をする』的に捉える向きがありますが、私は賛成できません。この婿殿に道案内させてマヨヒガにたどり着こうという考えが間違っていただけです。(多分とんでもない見当違いを捜索したことでしょう)

マヨヒガは白望山と長者森の間、小国側の沢沿いのどこかに存在した(或いは存在している。)これが極私的解釈です。
でも、それが山人の家なのか、謎の製鉄民のコミュニティなのかはなんとも判断し難いところです。新しい説としては、多額の租税を逃れるために姿を消した富豪の隠れ家なんていうのもあります。

by Wild_Cat_Seeker | 2015-06-18 21:56 | 復刻 山猫の館 | Comments(0)
2015年 06月 17日

遠野物語 私的解釈⑤ 山人、山の神

原典
(3話) 山々の奥には山人住めり。栃内村和野の佐々木嘉兵衛と云ふ人は今も七十余にて生存せり。此翁若かりし頃猟をして山奥に入りしに、遥かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳りて居たり。顔の色極めて白し。不敵の男なれば直に銃を差し向けて打ち放せしに弾に応じて倒れたり。其処に駆け付けて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪は又そのたけよりも長かりき。後の験にせばやと思ひて其髪をいささか切り取り、之を綰ねて懐に入れ、やがて家路に向ひしに、道の程にて耐へ難く睡眠を催しければ、暫く物蔭に立寄りてまどろみたり。其間夢と現との境のやうなる時に、是も丈の高き男一人近よりて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立去ると見れば忽ち眠は覚めたり。山男なるべしと云へり。

(4話) 山口村の吉兵衛と云ふ家の主人が根子立といふ山で若き女の稚児を負ひたるに逢う。極めてあでやかで、衣類の裾のあたりを木の葉を添えて綴りたり。此人は其折の怖ろしさより煩ひ始めて、久しく病みてありしが、近き頃亡せたり。

(5話) 笛吹峠で近年、山中にて必ず山男山女に逢うので、恐ろしくなり、境木峠に道を開いた。

(7話) 上郷村の女、恐ろしき人にさらはれ、五葉山の腰に住む。恐ろしきものの特徴は丈極めて高く眼の色少し凄し。同じような人、四五人集まることあり。

(8話) 菊池弥之助という老人が境木峠を越えるとき、大谷地の上で、何者か高き声で面白いぞーと呼ばるる。

(29話) 前薬師にて山口のハネトと云ふ家の主人があまたの金銀をひろげた三人の大男に遭遇。眼の色極めて恐ろし。

(89話) 山口より柏崎へ至る途中の愛宕山で山の神に遭遇。遠野郷には山神塔多く立てり、その処はかつて山神に逢ひまたは山神の祟りを受けたる場所にて、神をなだむるために建てたる石なり。

(91話) もと南部男爵家の鷹匠、『鳥御前』が続石の上の山中、大なる岩の陰で赭き顔の男女に遭遇。ひやうきんな人なれば、切刃で打ちかかる真似をしたところ男に蹴られて前後不覚に。その後三日間ほど病みてみまかりたり。山の神たちの遊ぶ処を邪魔したための祟りと言へり。
そのほかに
(6話)(9話)(28話)(30話)(31話)(34話)(35話)(75話)(89話)(90話)(92話)(93話)(98話)(102話)(107話)(108話)
(拾遺100話)(拾遺102話)(拾遺103話)(拾遺104話)(拾遺105話)(拾遺106話)(拾遺107話)(拾遺109話)(拾遺110話)(拾遺111話)(拾遺115話)(拾遺120話)。
*長者屋敷、マヨヒガは別項を設けるのでここでは言及しません。

【解釈 】  
山人、山の神、山男山女、天狗というカテゴリは実に本編119話中22話、拾遺299話中23話を数える。山中において出会う神とも妖怪とも人間ともつかない不思議な存在である。本編では地勢、三人の女神の次に早々と登場して実に七話連続で言及している。山男山女という言葉が柳田国男の造語である可能性が指摘されている。3話では山々の奥には山人住めり。と書き出し、山男なるべしと云へり。で結んでいる。何を以って山男と言い換えたのか? その後の物語を読んでも山人、山の神との境界線はあやふやである。
 ともあれ、これら不思議なる存在を特徴別に分類してみよう。

容姿・・・丈大く、色が白い、もしくは赭く(あかく)、眼光鋭い。
⇒3話、7話、29話、30話、90話、91話、93話、102話、107話、拾遺104話、拾遺107話
色が白いのと赤いのは実は同義であると思う。肌の白い人が怒ると赤ら顔になるでしょう。この容姿は外国人(特に白人系)でしょう。
(84話)(85話)で江戸時代から外国人が居留していることが判る。

出会い=危害を加えられる。
⇒90話、91話、拾遺120話
出逢った恐ろしさで病んだり亡くなったりしたものは除くと以外と少ないのである。しかも松崎村の若者(90話)も鳥御前(91話)も先に手を出している。逆に危害を加えている例は(3話)(28話)(拾遺107話)となり圧倒的に里人の方が過激なのである。特に(拾遺107話)はひどい。不思議なる存在は元来平和主義者であるのが判る。

里の女をさらう
⇒6話、7話、8話、31話、拾遺109話、拾遺110話
極めて人間臭い行為であり、里人とある程度のコミュニケーションが取れるようである。また物資を里に頼っている面もあり、単に山に住む人と限ってもいいようである。

会話をする
⇒6話、7話、9話、29話、35話、75話、92話、93話、111話、拾遺110話、拾遺111話
実はこの特徴が一番重要だと思っている。いや正確に言うならば、しゃべらないことが重要なのである。喋ること自体、人間的行為であり、超常的存在というカテゴリーから外さないといけない。

【極めて私的な結論】
 いつの頃からか、遠野郷近辺に狩猟を生業とする白系外国人が居住し始めた。大陸からかも知れないし、捕鯨船の遭難者かも知れない。彼らは先住の人々の迫害を恐れ、山懐深く身を隠したのでしょう。丈高く色白い、もしくは赭き顔の山人、山の神は彼らの末裔であろう。里の女をさらって妻としたり、街場の市にて買物をしたり、また小規模なコミュニティも作っていたのだろう。
 それ以外の山人、山男、山女は製鉄民とその家族と思われる。白望山考でも触れたが特殊技能を持った彼らにかかると人跡未踏の深山が宝の山になる。生活の基盤も或る程度出来るだろう。
 しかし、白子の生まれる環境を創った一派は例外で、里人との融合は為されなかったようだ。里人は深山で出会う彼らを異界の人、或いは神として捉え、接近遭遇の記念に石塔を立てることもした。山人は迫害を恐れ、里人は祟りを恐れた。微妙なバランスの上に両者は共存していた。
 明治の世になり、里人の経済活動が活発になるとバランスが崩れだした。山人たちは里人の度重なるテリトリー侵犯に恐怖感を抱いていたのでしょう。里人を遠ざける手立てとして、大なる草鞋を編み大山人の存在をアピールしようとした。その大きさ、30話では三尺(90cm)、拾遺104話ではなんと六尺(180cm)もあった。似た様な話は遠く与那国島でも残っている。度重なる海賊の襲撃を止めるために巨大な草鞋を海に流し、巨人の棲む島と思わせたということだ。
避けられない接近遭遇、そして里人の攻撃。彼らは止む無く祟りを実行しますが、それは全体から見れば、ほんの僅かのことでした。遠野物語が刊行された明治末期は、山人たちの最後の抵抗むなしく時代の趨勢に押し流された時期だったのでしょう。
彼らが息絶えたとは私は思ってません。彼らは時代に流されただけであって今も脈々とその血を受け継いでいるのだと思ってます。



by Wild_Cat_Seeker | 2015-06-17 22:08 | 復刻 山猫の館 | Comments(0)
2015年 06月 16日

遠野物語 私的解釈④ 長者屋敷

【原典 】
(34話) 白望の山続きに離森と云ふ所あり。その小字に長者屋敷と云ふは、全く無人の境なり。茲に行きて炭を焼く者ありき。或夜その小屋の垂菰をかかげて内を覗ふ者を見たり。髪を長く二つに分けて垂れたる女なり。此あたりにても深夜に女の叫声を聞くことは珍しからず。
(75話) 離森の長者屋敷にはこの数年前まで燐寸の軸木の工場ありたり。其小屋の戸口に夜になれば女の伺ひ寄りて人を見てげたげたと笑ふ者ありて、淋しさに堪えざる故、終に工場を大字山口に移したり。其後又同じ山中に枕木伐出の為に小屋を掛けたる者ありしが、夕方になると人夫の者何れへか迷ひ行き帰りて後茫然としてあること屡々なり。かかる人夫四五人もありて其後も絶えず何方へか出でて行くことありき。此者どもが後に言ふを聞けば、女が来て何処へか連れ出すなり。帰りて後は二日も三日も物を覚えずと云へり。

(76話) 長者屋敷は昔時長者の住みたりし址なりとて、其あたりにも糠森と云ふ山あり。長者の家の糠を捨てたるが成れるなりと云ふ。此山中には五つ葉のうつ木ありて、其下に黄金を埋めてありとて、今も其うつぎの有処を求めあるく者稀々にあり。この長者は昔の金山師ならんか、此あたりには鉄を吹きたる滓あり。恩徳の金山もこれより山続きにて遠からず。

(拾遺131話) 五つ葉のうつ木の話。

【解釈】  

長者屋敷は恩徳の手前で国道をはずれ、琴畑川を遡った先、山落場沢と広股沢の合流地点に近いところにある(らしい)。私も実際に訪れ、このあたりかな?という目星はつけたが、悲しいかな確証はない。
 さて、この長者屋敷という固有名詞を掲げた話は上記の4話だけである。しかし、文面を追ってゆくと長者屋敷のことでは? という話がもう少しありそうである。長者屋敷に住んでいた者の正体は76話で柳田国男が解き明かしてしまっていて、コレデドントハレなのだが・・・

待て待て! この明治の末に起こる怪異現象はそれとは別問題だぞ。

 わざわざ、一個のテーマとして長者屋敷を切り出したのは、柳田国男によって隠された物語が見えたからだ。34話で長者屋敷はおどろおどろしい場所に仕立て上げられた。その詳細談とも云える75話も、そのまま読んでしまえば、なんとも妖怪じみた話で終わってしまう。ここで私的推理。柳田センセ物語のすべてを語っていませんね。柳田センセは性に関してはかなりの潔癖性だと聞いております。しかし山猫を探す人はそうではないので、75話を素直に読むと以下のようになってしまいます。

 離森の長者屋敷には数年前までマッチの軸木工場がありました。夜になると山女が来て人夫を誘惑します。それが毎晩毎晩なので、もう仕事どころじゃありません。ついに工場は移転です。そのあと懲りずに枕木伐り出し小屋が掛けられましたが、山女の性欲は留まるところを知らず四,五人の男を相手にふぃいばあ、ふぃいばあ!
 朝になって帰ってきた男が茫然として、ひどいのになると二,三日も記憶が飛んだという。これではやはり仕事になりません。

長者屋敷の怪異は山女の逆夜這いです。そうなると35話で待てちやアと二声ばかり呼ばれたるのも、拾遺117話で待てえと叫ぶのも、多少ニュアンスが違ってくる。
享楽が目的なのか、はたまた多様な遺伝子を欲する本能的行為なのかはわかりませんが、怪異の影に艶っぽい話が隠されていたのです。

by Wild_Cat_Seeker | 2015-06-16 20:07 | 復刻 山猫の館 | Comments(0)
2015年 06月 15日

遠野物語 私的解釈③ 白望山考

【原典】
(33話) 白望の山に行きて泊まれば、深夜にあたりの薄明るくなることあり。秋の頃茸を採りに行き山中に宿する者、よく此事に逢ふ。又谷のあなたにて大木を伐り倒す音、歌の声など聞こゆることあり。此山の大さは測るべからず。五月に萱を刈りに行くとき、遠く望めば桐の花の咲き満ちたる山あり。恰も紫の雲のたなびけるが如し。

(35話) 白望に茸を採りに行きて宿りし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森林の前を横ぎりて、女の走り行くを見たり。中空を走るやうに思われたり。待てちゃアと二声ばかり呼ばりたるを聞けりとぞ。

(拾遺111話) 栗林村アカスバ(赤柴)の某という狩人、白見の山で髪をおどろに振り乱した女に遭遇

(拾遺115話) 金沢村の老狩人が白見山中で夜になった。突然前に蝋燭が三本現れた。その三本が次第に寄り合ってふっと一本になり、その火の穂から髪を乱した女の顔が現れて薄気味悪く笑った。大正二年の秋のこと。

(拾遺116話) 土淵村字野崎の前川勘右衛門が明治の末頃、山落場で小屋掛けしていると、年寄りの声で、ひどく大きくあはははと二度まで笑ったそうである。女の髪の赤い抜毛が丸めて落ちていたのを見た。

(拾遺117話) 明治の末頃、野崎の佐々木長九郎が谷の流れで米を研いでいると、頻りに木を伐る音が聞えた。小屋に入ろうとした時、待てえと引き裂くような声で何者かが叫んだ。

(拾遺119話)不動堂の神業や(拾遺118話)小槌の釜渡りの勘蔵がカゲロウの山で遭遇した『あいあい』と呼びかける謎の生物の話、(拾遺103話)山落場の小さな平地に菰莚(こもむしろ)が干してあった。も白望山に関連すると見てよいでしょう。
*長者屋敷、マヨヒガは別項を設けるのでここでは言及しません。

【解釈】  
これらの不思議、怪異に圧倒されました。私の遠野原点と言っても過言ではありません。此山の大さは測るべからず・・・とはなんと大げさなと思いましたが、これは私が可能な限り車で近づいて白望山の核心部だけをキセル登山した経験があるからであって、その限りでは1173mの藪山に過ぎない。しかしながら時代をさかのぼり、視点を里のはずれ(例えば西内村一ノ渡)に据えると険しい沢沿いの道の彼方1日がかりの深山のまた奥ということになる。そんな異世界に起こった怪異の数々。これはこれでそのまま謎にしておきたい気もしますが、まあ駄法螺と思って聞き流してください。

謎1・・・深夜に薄明るくなることの解釈。

夜発光するものといえば、月の明かり。だが、それでは不思議でもなんでもないので却下。ホタルの乱舞はどうか。秋の頃によく起こるので却下。ヒカリゴケ? 光が淡すぎて不可。となると残るは人為的光しかない。それは何か? 私は古代製鉄の高炉の火ではないかと推測する。特に曇っていたり、霧が出たりしていると、光は反射しあって思いもかけない明るさとなるものだ。

謎2・・・木を伐り倒す音。

(拾遺164話)の天狗なめしも同様の話だ。しかし殆どが白望山付近に集中しているのは興味深い。結局は謎1とリンクするが、製鉄には燃料(木)が必要なのだ。しかも膨大に!貞任山はそれで禿山になってしまったらしい。規模は小さいにしろ、木を切っていたのでしょう。かりそめに里から来た猟師、山菜採りの人々は、無人境と思われた深山で木を伐る音に遭遇し、さぞや薄気味悪く感じたことでしょう。しかし明治の末まで人知れず製鉄を営む集団が白望山には残っていたのですな。その残骸は、カナホッパ、明神平に残っている。

謎3・・・髪を振り乱した女、笑い声、叫び声

これらの話に出てくるのは狐狸妖怪ではなく人間でしょう。それは小国村の狂女であったり、山男にさらわれた里の女であったり、また製鉄民の家族であったりと多様であろう。彼ら彼女らも寂しいのだろう。いろいろとアプローチして来ているのは微笑ましい。しかし受け手側の腰が引けてしまっているので残る話は妖怪じみてしまったのだと推測される。錯覚が生み出した幻想では?との推測もあるだろうが、(拾遺115話)の蝋燭の焔の描写は正確で科学的根拠も見出せる。蜃気楼現象の一種で一本の蝋燭が三本に見えることがあるらしい。久しぶりに会う里人に挨拶しようとしたのだろうが、舞台効果が抜群で一群の話の中でもずば抜けて恐怖心を煽る内容になってしまった。

まとめ・・・白望山が人跡未踏の秘境であったなら、おそらく物語の端にも取り上げられなかったであろう。濃密に存在する謎の人々が白望山を稀なる精神的秘境たらしめたのは間違いない。

by Wild_Cat_Seeker | 2015-06-15 22:13 | 復刻 山猫の館 | Comments(0)
2015年 06月 14日

遠野物語 私的解釈② 蜘蛛の糸の怪

【原典】
(拾遺183話)琴畑の者が、川魚釣りに小烏瀬川の奥の淵で釣り糸を垂れていると、顔に時々蜘蛛の糸がかかるので、そばの切り株にかけておいたところ、突然この切り株が根こそぎ『ばいら』と淵の中に落ち込んだ。釣れた魚を見るとすべて柳の葉だった。

【解釈 】  
これは科学的根拠がある話だ。山の中で雷雲に遭遇するとどうなるか、不肖私も体験したことがある。一面の霧に覆われている中、そこは静電気の真っ只中である。全身の毛はこの静電気のため逆立ってしまう。この時の感覚は、この蜘蛛の糸が顔にかかるという感覚に非常に近い。そして私の場合も至近距離で落雷に遭遇した。一瞬目の前が真っ青になり、恥かしい話腰が抜けた。
 雷は遠くから黒雲がやってきてやがてゴロゴロといいだし、激しい雨とともに暴れまわるというのは平地での感覚だ。山の中では知らず知らずのうちに忍びより、突然襲われる。(拾遺184話)にも同様の体験談が語られているが、いずれも山の中の出来事である。
 蜘蛛の糸の怪は山中の至近距離での落雷現象であると結論する。これを不思議体験=狐狸の仕業とした昔の人の考えによると、魚はやはり柳の葉でなければ話が完結しなかったのであろう。

by Wild_Cat_Seeker | 2015-06-14 21:55 | 復刻 山猫の館 | Comments(0)
2015年 06月 13日

遠野物語 私的解釈① 空を行く者

「山猫の館」では、遠野物語の私的解釈も試みていました。
科学的根拠に基づく解釈から駄法螺的解釈まで何件か復刻させましょう。




【原典】
(拾遺166話)宮守村の道者が最近、早池峰をかけたとき頂上の竜が馬場で風袋を背負った六,七人の大男が、山頂を南から北の方へ通りすぎるのを見た。またその戻り道で光りものが前方を照らしカラノ坊まで無事下山できた。

(拾遺235話)明治維新の頃、赤い衣の僧侶二人が六角牛山を南へ飛び過ぎた。


【解釈 】  
(拾遺166話)では、2つの不思議な体験が語られているが、風袋の大男の描写が「人数が6,7人」「山頂を南から北へ」など具体的なのに対して光りもののほうはその大きさも明るさも形も語られていない。前者を現実、後者はこの不思議体験をさらに高めるために付け加えられた創作と見るべきだろう。あるいは体験者は道者であるから、その宗教的ステータスを高めるためだったかも知れない。
 さて、風袋の大男が現実だとするとその正体は何か? 拾遺で最近のことと語られているからには、明治後期から昭和初めのことと思われる。どうも、この地方には熱気球をつくり空中散歩を楽しむ先進的な人物がいたらしい。
 もう一つの原典(拾遺235話)は佐々木喜善が祖父から聞いている話だが、明治維新の頃、赤い衣の僧侶二人が大きな風船に乗り六角牛山の空を南へ飛び過ぎたと、ここでははっきりと風船と語っているので、熱気球と見て間違いはあるまい。人間は思わぬ昔から空を飛んでいたのではあるまいか? この考えは天狗伝説にも当てはめられないだろうか。

by Wild_Cat_Seeker | 2015-06-13 22:17 | 復刻 山猫の館 | Comments(0)
2015年 06月 12日

歴訪その4

世紀が変わる頃はイロイロとざわめいていて、遠野への足は遠のいていました。
復活したのは2002年の事でした。



歴訪その4(2002年5月4日-5月6日)

5月4日

 日付が5月4日に変わった瞬間にこの旅はスタートした。
今回は別に遠野へ行くつもりではなかったのだが、吸い寄せられるように白望山の麓へ来ていた。
 未明に横浜を出発し、国道6号線で太平洋岸を北上。高速道路を一切使わずにここまで到達した。10時間! 車の運転が好きで体力があって日本道路公団に恨みがなきゃ出来ないね。 高速道路を使わなかったおかげで途中、中尊寺や胆沢城跡を見た。アテルイ、安倍貞任、藤原3代と時代は異なるが兵どもが夢の跡。
 本日の宿は白望山南麓、通称『カナホッパ』又は『カナクソ平』。本当はもう少し白望山に近いところで落ち着きたかったのだが、水が得られないしアブブヨ軍団の攻撃が激しかったので仕方がない。
夕刻より天候は悪化の一途で、一晩中雨。

★点景その1
 5月の東北の山はまさに芽吹き時。3月、4月と仕事に没頭して春を体感できなかった私にとって今がまさに春だ。柴色の森が薄緑にけぶり、山桜のピンクがいいアクセントになっている。山肌の隠れたるところには残雪の白。・・・・・・ああ春だ。
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貞任高原から六角牛山
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貞任高原から片羽山
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春の白望山(白見牧場下より)

★点景その2
 カナホッパ或いはカナクソ平は小槌川の源流域にあって山あいにては珍しき開けた場所なり。ここは古代製鉄の行われた場所なり。今でも鉄を吹いた後に残る鉄滓散乱せり。暗褐色にて多孔質、されど手に取れば意外に重し。その形状色合い排泄物に似るところより金糞(カナクソ)と呼べり。
 桜の老木あり。枝を大きく張り自らの重さに耐えられぬほどなり。伝え言う。昔鉱脈を探し山中を彷徨いし山師は鉱脈を見つけたる場所に桜の木を植えり。この老木の樹齢を考えれば、それは50年、100年の単位にあらず。300年、400年の昔なりしか。
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カナクソ平(カナホッパ)の老桜

そういえば、遠野へは7年前から来訪しているが、春に来たのは初めてだな。点景に書いたとおり心に沁みますな。
2000年、2001年と訪れることができなかったので喜びもひとしおです。 また今回訪れたカナホッパ(或いはカナクソ平)は前々から気になって探していたのですが、ぜんぜん見当違いの方角を探していて来訪を果たせなかったイワクツキの場所でもあったわけです。老桜の根元を探すといとも簡単に鉄滓が見つかった。一体いつ頃のものだろうか?後日ネットを探ったが明確な情報は載っていなかった。気になりますなぁ。ここで行われていたことは、いつか調べてやりますよ。

★点景その3
  白望山南麓直下は名も無き峠にて小さき平地なり。
  その昔伐採に使いし林道朽ち果て訪れる人はなはだ少なし。
  野芝と牧草、根笹せめぎ合いその趨勢未だ決まらず。
  また、同じ峠はすなわち風の通り道なり。
  よく晴れた日の夕刻は最もその激しさ増せり。
  その音、山の主の咆哮の如し。
  山に棲む獣の通り道でもあり、およそ下界の人間の立ち入る
  場所にあらず。
5月5日
 夜明け前の薄明。雲は流れ雨脚は強く弱く。思案のしどころだ。
5時30分。東の空がひときわ明るくなり、白望山の山頂が姿を見せた。
雲は山肌に沿って上昇している。これは天気回復のよい兆候だ。
足回りを固めて『カナクソ平』を出発する。
林道を登ること10分で強風の峠への廃林道の分岐だ。
そこをたどることさらに10分で峠に出る。
思えばこの峠に来たのは6年ぶりだ。風に変形した木立は変わらないが、
笹の丈は以前より高くなっている。そして思わぬに道標が設置されていた。
 『白見山-今錦参道-』と書いてある。
幻滅した。白望山も単なるハイキングコースに成り果てたか・・・・・。
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強風の峠の道しるべ

 道はブル跡だが笹がかぶり不明瞭だ。とそのうち稜線上の平坦地でついに踏み跡すら探し出せなくなった。6年前は立派な刈払いがされていたのに、その後まったく手入れはしてないようだ。ところどころにある赤テープの目印をたよりに笹の密藪を泳ぐ。中腹の笹原は特にルート選定に苦労した。山頂は見えるのでその方向に進めばいいのだが、刈払い跡から逸れるとたちまち歩行困難になる。その度に戻り、藪にもぐり刈払いの痕跡を探した。
 いいぞ、いいぞ。白望山は原始の姿に戻りつつある。これでこそ白望山だ。
 しかし、こうなるとあの峠にあった道標は逆に問題あるのではないか?まあ、道がないと山に登れない輩は最初の50mで引き返すだろうな。こんな笹薮に突っ込んでいく奴はそう多くあるまい。
最後のひと登りでもルートは判然としない。もう直登しかあるまい。背丈くらいの密生する笹の中を泳いで体を強引に持ち上げていると、不意に傾斜がなくなった。そこが山頂だった。カナクソ平から2時間。
 山頂のたたずまいは一変していた。笹薮は凶暴なまでに生い茂り、かろうじて三角点の部分だけが開けていた。
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2002年5月の白望山山頂
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6年前の白望山山頂

コーヒーを沸かし一服。好奇心の強い野鳥がほんの50cmのところまで寄ってくる。
 満足していた。そして少し憂鬱になっていた。あの密藪を今度は下らなくてはならない。コンパスを持ってないので方向を違わずに下山できるだろうか。幸い空は晴れ渡り周囲の景色も見える。まあ迷ったところで広股沢か小槌川に行きあたるだろう。マヨヒガに行きついたらそれこそ幸運ってものだ。
 結果から言うとまず小槌川の方向の支尾根に迷い込み、それを修正しすぎて今度は広股沢への斜面におち、激しい薮漕ぎののち峠手前のブル跡がはじまるあたりで踏み跡に行きあたった。おそろしいことに登ってきたルートは殆どたどっていなかった。結局登りと同じ2時間をかけてカナクソ平に到着した。




by Wild_Cat_Seeker | 2015-06-12 21:42 | 復刻 山猫の館 | Comments(0)
2015年 06月 10日

歴訪その3

ネタが切れたのでw
消してしまった「山猫の館」の復刻ネタを再開しましょうかねw


歴訪その3(1999年8月16日~8月18日)

8月16日

未明に東京をたち、午前6時過ぎには笛吹峠を越えていた。
今回の目的は、物語32話で、撃たれて逃げた白鹿が片肢を折った場所と謂われる片羽山への登頂と一昨年天候不順のため果たせなかった早池峰への再挑戦だ。
物語32話は遠野物語の中で最も好きなくだりだ。柳田国男が「宛然として古風土記を読むが如し」と感じたのも頷けるつかみどころのない話だ。それ故に限りなく想像力をかき立てられるのも事実。

千晩が嶽(せんばがたけ)は山中に沼あり。この谷は物すごく腥き臭のする所にて、この山に入り帰りたる者はまことに少なし。
昔何の隼人といふ猟師あり。その子孫今もあり。白き鹿を見てこれを追ひこの谷に千晩こもりたれば山の名とす。
その白鹿撃たれて逃げ、次の山まで行きて片肢折れたり。その山を片羽山といふ。
さて前なる山へ来てつひに死したり。その地を死助といふ。
死助権現とて祀れるはこの白鹿なりといふ。(物語32話)


さて、登山口は県道から少し奥に入ったところにあるため車でどこまで行けるか謎だった。ガイドブックには入れるような記述があったが、一般の車は金山沢沿いの一軒家のところまでが限界だろう。車を捨てて林道を歩きだすと案の定、林道は出水のために崩壊していた。車は通れません。30分も林道を歩くと片羽山登山口に着く。
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片羽山登山口

片葉山と彫られた石柱と登山者名簿を入れた箱、それに崩壊寸前の大きな鳥居がある。道幅は広いが、えぐれてしまって少々歩きにくい。周囲は深い森で、折りしも朝霧の時間。薄暗くひんやりとしていて鳥すら鳴かない。やがて道は植林帯になり展望が開ける。霧は去り陽が差してきた。途中夏草おおいに繁茂して道が不明瞭になるが植林帯が終わって自然林になると道はしっかりしてくる。いつしか道は細くなり急登となった。夜行登山の身にはこたえる。しかしそれも林床に花が見受けられ、木々の高さが減じてくると終わり間近だ。
露岩の多くなった道を1ピッチで片羽山雄岳頂上におどりでた。
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片羽山 雄岳 山頂

標高1313.2m。2等三角点。
這松帯になるにはあと50m足りないのかも。西に六角牛山、南に片羽山雌岳。東に千晩が岳。北に権現山から貞任山。
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片羽山 雌岳

いずれも流れる雲の間に間に見え隠れしている。こうして見ると32話の白鹿がたどった道筋が一望できる。何の隼人という猟師の行動範囲の広さにも驚嘆する。

山頂の一角に石の祠があり、鉄剣の錆たるあまたあり。
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片羽山 雄岳の石祠

気持ちのよい山頂で夜行の疲れからしばし寝入る。
トンボ、アブの羽音心地よし。

いかん、眠りすぎた。いや、急ぐこともあるまい。暗くなるまでに小田越へ着けばよいのだ。まだ昼を少し回ったくらいだろう。(実は時計から地図から、果ては茶を沸かすコッヘルも忘れてきていた。そのうち山靴忘れて山登れずとかするんじゃないだろうか?)
ゆっくりと下山したが、途中で水を飲み干してしまった。本気で途中の斜面をすべりおりて沢へ行こうかと考えた。いやはや下界の暑いこと暑いこと。へろへろになって車のところに戻り、金山沢へ頭を突っ込んだ。途中の一軒家に行くのであろう郵便配達のおやじが怪訝な顔で私を見る。おっと上半身裸で髪濡れていたんで河童と間違われたかな?さて早池峰の麓、小田越への移動だ。笛吹峠を越えるのが最短コースだが、それでは面白くない。県道を東に走る。橋野、太田林、栗林といった遠野物語でもおなじみの村々を駆け抜け、鵜住居で国道45号線に出た。釜石方面は大渋滞だ。横をJR山田線の列車が「わしのほうが速いけんね。」と駆け抜ける。釜石から国道283号線を走り、仙人峠越えをする。遠野市街から附馬牛を経て荒川高原へ。走りよい道だ。走りよいから調子に乗りすぎて小田越への林道を見落としてしまった。道はあれよあれよと下り、ついに薬師川まで下りてしまった。しかしそのおかげで気になる場所、タイマグラを巡ることができた。よほど注意していないと気づかずに通りすぎてしまう。深い林のところどころに民家の軒が見え隠れしている。物語65話では安倍が城に安倍貞任の母、今でも住めりと語られ、拾遺121話では赤い顔の翁と若い娘が目撃され、拾遺122話では再び安倍が城のことが記されている。謎に満ちた場所である。先を急ごう。もう夕暮れだ。車を小田越の手前で乗り捨て、小田越山荘に飛び込んだ。先客4名。すでに今日、早池峰に登ったそうだ。「山の上は天気よくないよ。」と言われる。よくよく遠野の地と私とは天気の上では相性が悪いらしい。長い一日だった。就寝は午後7時でした。

8月17日

夜明けと共に行動開始。小田越から行く方を見れば見えるのは3合目あたりまで。その上は雲の中だ。
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小田越から早池峯

てくてくと歩くこと、ほんのわずかで早くも森林限界を越える。ここは一合目、小田越が箱庭にように見える。
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早池峯1合目から小田越

東方にはうっすらと白見山も望める。
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早池峯1合目から荒川高原、白望山

しかし、南方に大きく見えるはずの薬師岳は厚い雲の中だ。高度をあげるにしたがって自分も雲の中に突入した。唯一の慰めはハヤチネウスユキソウを代表にけなげに咲き誇る高山植物の花々だ。さすが有名な山だけあって前後に登山者の姿がちらほら見える。たんたんと登り続け、はしご場を越えるとほどなく9合目の山頂湿原『御田植場』だ。そこから一登りで早池峰の頂きに着いた。
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早池峯神社 奥の院

私は奥の院の横の岩の上に座り、風に流れる雲を眺めていた。いつかこの雲が晴れて大展望が開けるのでは・・・と期待していたが・・・・残念ながら今年も山の天気に関してはツキも運もなかったようで、無念の下山開始。右の写真を見ればわかるが薬師岳中腹の1300mくらいから上に分厚い雲のヴェールだ。もう1枚の白見山や荒川高原方面には雲がかからない。これで見ると、1300m付近を境に大気の性質が変化してるんだろうな。そうとわかったら下山だ。夏の日差しの中、気持ちのよい渓流で、水浴びだ魚とりだ!昼寝だ!なによりもビール、ビール!

小国方面に車を走らすと程なく荒川高原への林道が分岐する。なにやら警告めいたことが書いてあるが、無視無視! 通らせないなら作るな! 作ったからには堂々と通らせてもらう。この道路に恩恵を受ける人々が私財を投じて作ったわけではないでしょ? もしそうだったら敬意を表してUターンしますよ。スリーグリーンラインの和山分岐の藪の中にある立入禁止の看板とか、およそ旅愁とは正反対の生々しくもさもしいうすぺっらさを感じるよ。それだけ訪れる人が増えてオーバーユースだったり、生活の場を荒らされているのかな?
 土淵のよろずやでビールを買い込み、行き着く先はやはり琴畑川二股でしょう。川でビールを冷やしている間、川を探検する。3年前に比べて、てんで魚影がない。釣り人が多いのかな? そういえば橋の下は大キジの展示会だった。まったく、埋めるとか流すとかしないかね?普通! そうやって自分の醜い分身を他人にさらけだしてなにがうれしい? ワシはそうした釣り人は決してナチュラリストとか自然愛好家とか人格者という範疇に入れられないと思う。うううっ・・・・山猫ガラにもなく熱くなった。 ただ本当に自分のお気に入りの場所が糞尿やゴミにまみれたり、モトクロスバイクの轍で踏みにじられるのが本当に単純にいやなんだよ。もう酔っ払うしかないでしょ。二股に来て失敗した。

8月18日 早朝、出発し三陸海岸を南下していった。行ける所まで下道で行こう。(要するに金が足りなくて高速に乗れなかったのだよ。)9時に気仙沼。仙台には昼には着くかな? 東京まであとどれくらいだろう?

付記:結局ヘタレテ大和インターから東北道に乗っちゃいました。


by Wild_Cat_Seeker | 2015-06-10 22:34 | 復刻 山猫の館 | Comments(2)