山猫を探す人Ⅱ

okenamay.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2011年 05月 31日

流浪の旅2 後三年

陰鬱なる曇り空の下、横手を過ぎたところで、国道13号線を離脱した。



c0337257_12241921.jpg



桜もまばらな北国の一柵跡



c0337257_12241962.jpg



奥州藤原家の礎を築いた藤原清衡と清原氏の最終決戦地。 金沢の柵



c0337257_12241923.jpg



柵に篭城した清原氏と対峙する清衡の軍勢はこの平野のあちこちに陣地を築き兵糧攻めの戦法を執った。



c0337257_12241933.jpg



当時なら此処は物見であろうか。
秋の実りの頃はさぞかし神々しい黄金の原が見られることであろう。



c0337257_12241974.jpg



平野が見えない奥地に本丸跡があった。



c0337257_12241924.jpg



その下には兵糧倉があった。
ここに蓄えた兵糧米が謎の焼失を遂げる事件があり、清原氏は飢餓に陥り、結局それが敗因となったと謂われている。



c0337257_12241914.jpg



清原氏側の戦死者を弔い、その時に植えた杉の木だと謂う。
樹齢は1000年近かったが、第二次世界大戦時に消失したと謂う。



この後三年の合戦を機に、清原氏は滅亡し、奥州藤原氏の栄華が始まることとなった。
同時に合戦のもう一方の主役であった源義家(八幡太郎)は、その功績を朝廷から私戦と看做され、褒賞を得ることは出来なかった。配下の武士たちには私財を投じ報いたという。
それが源氏の勢力勃興、のちの鎌倉幕府成立へと繋がったと謂われている。



旅は続く・・・・



by Wild_Cat_Seeker | 2011-05-31 06:35 | 旅行・地域 | Comments(4)
Commented by 宝飯爺 at 2011-05-31 23:18 x
宝飯爺、若かりし厨房の頃、社会だったか歴史の教科書に挿絵が

記載されていた記憶あり、確か?「後三年の役」だったやうな・・?

最近はこの近くを通り大仙市大曲に花火見物に逝きたることはなはだ

多し・・・昔はよく迷えしこと度々なれど、数逝くこと道覚えたる

ことと、愚弄張歩痔所妊具師捨無なる米国技術の発達にて

夜間でも迷わず帰ること常なり・・・

Commented by yamaneko at 2011-06-01 00:47 x
宝飯爺様

遠野からだと、北上、横手経由大曲ですか?
はるか昔、20世紀のある年に角館から山形まで走った記憶があります。
それよりも遠い昔、山形から秋田まで、特急つばさに乗車した貴重な記憶もあります。
でも後三年は、歴史の教科書で知りましたが、実際にこの目で確かめたのは今回が初でした。
かれこれ1000年前のことですから、地元の方の記憶は薄かったですね。
もっとも藤原清衡は地元の雄、清原氏を滅ぼしたにっくき敵なのかもしれないですね。

Commented by とらねこ at 2011-06-01 13:03 x
金沢の柵址・・・数年前に何度か訪ねております。
そして今回、私も奥羽本線撮りも合せて横手辺りの探訪を計画しておりましたので、ちょっと驚いております。
まさに後三年の役・・・の地・・・ですね。
〇風と悪天候で延期となりましたが、治ったので直ぐにでも私も訪ねてみたいと思います。
横手焼きそばは痛くても食べたいです・・・大汗

Commented by yamaneko at 2011-06-01 23:44 x
とらねこ様

金沢の柵・・・一度は訪ねたい場所でした。
様相は大規模な山城ですかね?
城跡に金沢八幡宮があるのは、やはり武運長久信仰なのでしょうか。

奥羽本線の撮り鉄!
いいですね~ 今はどんな列車が走っているのでしょう??

ワタクシが乗ったのはもう30年近く前のことです。
485系のつばさで山形から秋田まで移動しましたが、行き違いとか追い越しの鈍行が古い客車だったのが印象的でした。

あ、横手やきそば!
時間があればワタクシも食したかったのですが、青い彗星号にリッター162円の超高額ガソリンを食わせただけにとどまりましたwww




<< 流浪の旅3 湧水の地      流浪の旅1 前九年 >>