山猫を探す人Ⅱ

okenamay.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2009年 08月 09日

しもつけ放浪記余話(千葉省三のこと)

しもつけ放浪記最終話(wで触れた児童文学者のことをつらつらと書きたいと思います。



作家の名前は「千葉省三」
大正末期より著述を始め、「虎ちゃんの日記」「鷹ノ巣とり」「みち」「ションベン稲荷」「仁兵衛学校」「けんか」など田舎の子供たちの日常をいきいきと描きました。それらは近代児童文学史上、近代的リアリズムを導入した最初の作品として高い評価を後に得ている。(千葉省三記念館の冊子を一部転写しました。)



ワタクシは子供の頃、繰り返し繰り返し、これらの作品を読みました。
挿絵もまばらな作品なのに、田舎の宿場町ののんびりした様子、いきいきとした子供たちの様子。周囲に広がる自然豊かな光景が子供ながらイメージできたのです。



私の両親はともに東京都区部出身。
所謂豊かな自然に囲まれた田舎は憧れの対象でありました。
千葉省三の作品は、私に田舎のイメージを鮮烈に植え付けたのです。

さて、その千葉省三の記念館があるとの情報を得て、ワタクシ再び「しもつけ放浪」の旅に出たのでございます。



c0337257_12190033.jpg

なんかグダグダに疲れきっていたので、機動力あるクルマではなく鉄を選択しました。
え? 栃木へ行くのに東北新幹線を使わないのかって?
いやいや、東京低地人にとって栃木へ行く手段は東武電車と相場が決まっています(w



c0337257_12190096.jpg

憧れの(w 東武特急スペーシア



c0337257_12190077.jpg

奮発して乗っちゃいました(www

シートはゆったりしていてフットレストも付いていて、JR特急のグリーン車並みの乗り心地なのですが・・・・元喫煙車で、車内はほんのりヤニ色でにほひもキツイ! おまけにエアコンの音が掃除機のようにやかましい。う~んクオリティは低いなぁ・・・・・



c0337257_12190143.jpg

さて、乗換なのだが、栃木で特急を降り、次の新栃木まで進んだが、次の列車は・・・・・



c0337257_12190117.jpg

げげぶぶ! 30分待ちかえ?



c0337257_12190159.jpg

その間、特急や林間学校の小学生を乗せた臨時列車が駆け抜けてゆく。
まぁ、いいか、、、急ぐ旅でもあるまいし・・・・・



c0337257_12190160.jpg

やっと来た電車は、遠路はるばる会津の国まで行く。
んん? 会津高原尾瀬口って・・・・聞いたことないな。(コソコソと調べ・・・)
あ、なんだよ。会津滝ノ原のことかよ。いつ改名したのだえ? (コソコソと調べ・・・)
結構前なのね_|‾|○



c0337257_12190137.jpg

すったもんだの鉄の旅を経て目的地に到着。



c0337257_12190158.jpg

千葉省三記念館は児童館に併設されていました。
児童館の方に声をかけるとカギを開けて下さいました。



c0337257_12190112.jpg

なつかしい作品タイトルが並びます。



c0337257_12190180.jpg

その他、千葉省三が実際に使用した衣服、杖、机などが展示されています。



c0337257_12190116.jpg

主な作品の舞台概念図がありましたので、この後何箇所か廻ってみました。



c0337257_12190193.jpg

虎ちゃんの日記に登場する大沼はこの辺りかな?



c0337257_12190179.jpg

こんな竹藪の中を子供たちは探検していたのだと思う。



c0337257_12190164.jpg

ションベン稲荷はこの辺りかな?



c0337257_12190136.jpg

千葉省三が尋常小学生だった頃の記憶を元に描かれた作品ですから、明治30年代の風景ということになりましょう。
ノスタルジーに浸るにはちょいと遠い昔です。



c0337257_12190105.jpg

でも、作品を幾度も読み返したワタクシの脳裏には、おそらく千葉省三の記憶に基づくノスタルジーが存在しているのでございます。

今一度、作品を読み返してみたいが、残念ながらワタクシの手元に本はございません。
無論絶版となっているので、古本屋を探すしかないでしょうね。
折を見て神保町へでも行ってみようと思います。

しかし、それが良いのかどうか・・・・・
昔読んで感動した本や漫画に、今のワタクシの思考や目線で接した場合
昔のままの興味や感動が湧くのか・・・・・あるいは・・・・・・

学校の同窓会で30年ぶりに初恋の人に逢うべきか逢わないべきか・・・・
それと同じジレンマを抱えて居る次第でございます。(どんな例えですか?w)



































by Wild_Cat_Seeker | 2009-08-09 15:01 | 旅行・地域 | Comments(8)
Commented by ゆーくん at 2009-08-09 17:13 x
鹿沼に有名な作者がいたんですね。18年近く住んでましたが、全く知りませんでした。
この付近は叔母が住んでいて、「とちおとめ」の生産が盛んです。


Commented by ゴンゲン at 2009-08-09 19:54 x
 気になる。 ションベン稲荷。

Commented by yamaneko at 2009-08-09 23:37 x
ゆーくん様

おや、鹿沼にもお住まいでしたか?
そういえば、この近所に同じ苗字のお店があるのを地図で確認しました。
エントリーには書きませんでしたが、帰途は日光へ出て、JRでした。
あんなローカル線なのに乗客の1割はガイジンさんでしたね。びっくりです。

Commented by yamaneko at 2009-08-09 23:59 x
ゴンゲン様

気になりますか?
そうですよね。千葉作品の中で、ワタクシが最も気に入っている作品です。

あらすじはこうです。

おっかない爺様の住む家の庭に大層立派な丹波栗の木があって、子供たちは実りの季節には、そいつを失敬しようとしますが、爺さんもさるもの、子供たちの来襲を張り番して待ちうけて、侵入してくる子供たちを撃退していました。
逃げ道確保のため竹やぶに入った子供たちは藪の奥に小さなお稲荷さんの祠を見つけます。竹やぶの持主が庄兵衛さんだったので、庄兵衛稲荷と呼ぼうかと話したときにガキ大将が立ち小便をしながら、「ションベン稲荷としよう」と言ったところ、子供たちは大受けし、さらに逃げ道の出口を探しに藪を抜けていきます。ところが藪を抜けたところは今まで見たことも無い原っぱで宿場の中なのにまるで異空間のように静まり返っています。子供たちは「ションベン稲荷」なんて失礼な名前を付けたためにキツネに化かされているのではと不安になります。泣きそうになりながら、原っぱの一角から見えた屋根の方へ走っていくと、そこは馴染みの家の中庭だった。これで逃げ道は確保できた。次の丹波栗の季節を待ちわびていたが、その季節を待たずして、なんらかの事情により丹波栗の木は切り倒されてしまった。用なしになった竹やぶの逃げ道だったが、それでも子供たちは時々「ションベン稲荷」を訪ねては花なんかを供えていたそうな。  どんどはれ

本が手元にないので、心もとないですが、大体こんな感じでした。
未知の道を探すって子供にとっては一種の冒険で、その興奮と不安と楽しさ、ちょっぴりがっかりする結末など、思わず物語の世界に入り込んでしまう内容でした。


Commented by ゴンゲン at 2009-08-10 07:08 x
 あぁ~ 経験のある情景が目に浮かびます。
 育ち盛りの頃なのに食べ物がない環境「盗む」の意識は有るのだが「腹が空き」クリに限らずリンゴ・ナシ・サクランボ・イチゴ・サゴミ・クワの実と生り物の数々を同類達と忍び足で食しに出向いたモノでした。今頃目撃されるクマと何故かダブらせてしまいました。
 その頃は百姓屋は食べ物が有って良いなぁ~って思ったモノでした。
 

Commented by chonchon at 2009-08-10 09:43 x
私のお袋が鹿沼生まれです。
私も40年ほど前に行った事があるんですが
その時は、結構田舎で蒔きで焚いた
屋外にある風呂に
入った記憶がおぼろげにあります。
懐かしい。

Commented by yamaneko at 2009-08-10 22:28 x
ゴンゲン様

経験がおありですか(w
ま、厳密には窃盗罪の成立なのですが、度を越えなければ、おおらかな時代だったのではないですか?

ワタクシの生誕地では、それこそ大地の恵みは柿くらいなものでしたから、よく失敬しました。けど半分は渋柿でしたね(爆)

これから先、百姓屋が再びうらやましく映る時代が来ますよ~。
某〇国とか某米〇が食糧輸出を止めたらタチドコロニ・・・オゾゾ

Commented by yamaneko at 2009-08-10 22:32 x
chonchon様

ええ、こちらにも「かぬまにあん」様が(w シツレイシマシタ

やはり、阿曽沼つながりなんすかね~~???

母屋と離れた薪風呂・・・・・
あんのう、それこそ40年前は東京の低地で(下町ではない)見かけましたよ。
あ、率直に言えば我家でした(www
確か、消防2年くらいまで杉かヒノキでできた風呂桶で溺れていました(w



<< 地名の由来      逝く夏や >>