山猫を探す人Ⅱ

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2006年 12月 27日

金堀沢遡上作戦

山口村は六角牛山への登山口だから、山口と呼ばれたと云われてます。
なるほどね、と頷いて終わらせても良いのですが・・・・・
この事に関しては、疑問を持ち始めて早10年。



金堀沢遡上作戦_c0337257_12074541.jpg

六角牛山に登るには、もっと好条件な地がいっぱいあります。
中沢、糠前、飯豊・・・・・・
なんで、山口が・・・・この疑問になんらかの答えが見つかるか、と思い、この水車小屋の奥、金堀沢を朝飯前に詰めてみました。



金堀沢遡上作戦_c0337257_12074535.jpg

この日は事の他、冷え込みまして・・・・路上凍結箇所もございまして・・・・



金堀沢遡上作戦_c0337257_12074563.jpg

結局、古道の痕跡は見つけられず・・・・・
青い彗星はやる気満々だったのですが、yamanekoが腹ペコで活動限界を迎えました。
最奥まで詰めきれず、この沢の名前を確認して、引き返しました。

山口村が通商路の要だったのは事実でしょうが、六角牛山への登山口だったという事に対しては山猫的には納得していません。
この疑念を解くためには、笛吹峠を越えていた古道の軌跡を明らかにする必要があります。
謎だらけです。







by Wild_Cat_Seeker | 2006-12-27 07:10 | 遠野の山奥に | Comments(4)
Commented by romi at 2006-12-27 08:02 x
いずれも沿岸の大都市だった大槌への道なんですよ。
六角牛の脇を通り笛吹を下るのが最短距離。
しかし断崖絶壁の笛吹峠は余りにもリスクが大きすぎて、迂回路の界木の道がメインになったのです。
遠野郷から沿岸へ、沿岸から遠野城下へやってくるには用途によりいずれかの道を進んだのでしょう。
徒歩なら笛吹、荷駄を連ねた馬たちは界木峠から青ノ木へ抜けたんでしょうね。

Commented by tamachi at 2006-12-27 10:37 x
確か、登ろうとした山が近くにありましたっけ?
或る雨の日・・・・・

水車小屋先の道はそそられたのですが、程なく行けば砂利道だったので撤退しました。
なるほど「人」と「駄賃付け」が行き交う道・・・↑
六角牛が覗く場所ですから、「登ろう」とする道が築かれる可能性は・・・・どうなんでしょ?

やはり、内部電源を充分に補給してからのダート攻めの方が宜しいかと・・・・
眠気覚ましガムだけではダメですよー



Commented by yamaneko at 2006-12-27 23:32 x
romi様
通商路としては、山口は双方の要所ですよね。
笛吹も界木も・・・・

でも、あの当時、山に登るのは修験者か変態くらいなものですから、登山口という概念には???です。柳田国男の思い込みが入っているのかなぁ?と思っている次第です。(汗)

Commented by yamaneko at 2006-12-27 23:43 x
tamachi様
二つ岩山ですね。
古道がこの山裾を巻いていたかもしれません。
少なくとも、古い道が沢沿いに延びていたとは考えつらいですから。
なぜか理由は判りませんが古道は山の尾根か中腹を縫っていたのです。

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